
(1) 自給
農林水産省が「都道府県別食料自給率」というデータを公開しています。カロリーベースで食料自給率が100%をこえているのは、1位:北海道…201%、2位:秋田県…141%、3位:山形県…122%、4位:岩手県…106%の4道県です。逆に自給率が低いのは、1位:東京都…1%、2位:大阪府…2%、3位:神奈川県…3%、4位:埼玉県…12%という順になっています。
北海道の食料自給率が201%だと聞くと、北海道民は自分たちが作った農作物で十分に自給してるように勘違いしそうですが、そのようなことはありません。北海道内で仕事を持っている人たちの間で農業者が占める割合は、8%ぐらいでしかないからです。しかもその8%の農業者のほとんどは、「売るための」作物を作っています。ですから北海道の農業者の多くは、食料の大部分を「買って」食べています。米を作っている人たちの自家消費米という例外を除けば、「食料自給率201%」といわれる北海道民も、個人(家族)レベルではほとんど自給はしていないのです。
わたしが日頃不安に思うのは、自然的な、あるいは社会的な大きな変動があったときに、自分たち(自分や家族)の食料が保障されるかどうかということです。藤田弘夫さんは『都市の論理』(中公新書)という本の中で、示唆に富む指摘をしています。「古今東西、農村に飢えはつきものだが、都市が飢えることはめったにない。自らは食糧の生産を行わない都市のほうが、農村よりも飢えないのである」というのです。
わたしは、自然に死ぬまで当たり前に生き続けたいですし、ほかの人が当たり前に生きることをじゃましたくもありません。そこで、食べるものを作る仕事=栽培をしようと思い立ちました。それも、ひとに「売るための」農産物ではなくて、自分たちが「食べるための」食料を確保することを優先する栽培を、です。
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(マハトマ・ガンジー)は1930年に、インドの植民地政府による塩の専売法の禁止を破って、海へ行って海水から自分で塩を作る行動をして、人びとに見せました。塩は、調理に欠かせないものです。その製造が一般の人たちに禁止されているのはおかしいということを、ガンディーは非暴力直接行動で教えたのです。
「生きていくために必要なものは自分で作る」というのは、じつは人がみずからの生活を支える一番確実で安心なやり方なのです。また少しでもやったことのある人ならば分かると思いますが、それはとても楽しいことでもあるのです。
では、今都市に住んでいる人はどうすればいいのでしょうか。わたしのように農村に引っ越すのも、一つのやり方でしょう。週末に通えるところに菜園を持つ、というのでもいいと思います。ロシアのダーチャ(菜園つきの郊外の家)のようなものを思い浮かべると、分かりやすいと思います。「ひ孫引き情報」を含みますが、豊田菜穂子さんの『ロシアに学ぶ週末術』(WAVE出版)という本に引用された新聞記事をご紹介します。
首都圏近郊モスクワ州の場合、全世帯の三分の一が菜園を所有。ロシア国家統計局の昨年(二〇〇三年)のデータによると、国内三四〇〇万世帯の八割が菜園をもつか野菜づくりの副業経営を行い、同国のジャガイモ生産量の九十二パーセントをまかなう」(『東京新聞』二〇〇四年四月十五日)
ジャガイモは、ロシアで最も多く食べられている野菜です。その92%が自給だというのです。本業がうまくいかなくなったとしても、社会的変動があったとしても、食べるものだけは自給しているので、保障されているわけです。この安心感は、うらやましい限りです。ちなみに国別のジャガイモの生産量では、ロシアは中国についで世界第2位です。
人は食べなければ生きていけません。食べるために栽培をすることができることは、人間にとっての基本的な権利です。生産者は、「売るための」栽培から「食べるための」栽培に帰るために、この権利を深く自覚しましょう。消費者は、「買って」食べる生活から「作って」食べる生活に帰るために、この権利を深く自覚しましょう。自給を目指して一歩を踏み出すとき、生産者と消費者は対立することをやめて、「栽培者」という同じ地平に立つことができるようになります。そしてさらには、自給とはほど遠い状況にある、諸外国の、輸出のための農産物を低賃金で作らされている農園労働者たちに思いをはせることもできるようになるのです。
今後、「自給」は、世界の食料「問題」を解決するためのキーワードになるでしょう。
(2) 自然農
近代的な農業は、化石エネルギーを大量に必要とします。トラクターやコンバインを動かす燃料だけではなく、それらの機械を作るのにもエネルギーが必要です。化学肥料や農薬を作るのにもエネルギーが必要です。温室資材や地温を高めるために地面に敷くマルチ資材を作るのにもエネルギーがいります。「孫引き情報」になりますが、松尾嘉郎さんと奥薗壽子さんの共著『絵とき 地球環境を土からみると』(農文協)という本に、1975年に宇田川武俊さんが発表したデータが紹介されています。それによると、この年に日本で生産された米1200万tのエネルギー総量は42000Tcalになりますが、それを得るために投下された化石エネルギーは38600Tcalにのぼっていたそうです。この時点での「獲得エネルギー/投下エネルギー」は1に近づいています。現在では1以下になっているそうです。農作物は「太陽エネルギーの恵み」と思われていますが、今日ではそれ以上に「石油エネルギーの恵み」になってしまっているのです。
松尾さんと奥薗さんのこの本によると、「獲得エネルギー/投下エネルギー」で比べると、人力だけのいわゆる原始農業は、機械力を主力にした農業よりも約3倍も効率がいいそうです。限りある資源をどう使うかという議論をすることとともに、伝統的な農法に学びながら、安定的で持続可能な農法を開発することもまた、必要になってくるでしょう。
北海道の先住民族であるアイヌ民族は、狩猟採集活動が中心の生活を長くしてきましたが、江戸時代の記録によりますと、ヒエやアワなどの雑穀を栽培することもしていたようです。アイヌ民族は、川沿いの土地を木製の道具で少しだけ耕し、種をまき、肥料はやらず、草は取らず、実った穀物は穂だけを摘み取って利用していました(アイヌ民族博物館監修『アイヌ文化の基礎知識』(草風館)を参照)。アイヌ民族が、最先端の自然農にそっくりの、非常に合理的な栽培をしていたことが分かります。しかも、たくさん作って換金したりしないところに、自然を大切にして、自然とともに生きてきた民族文化の知恵が感じられます。
今、地球の砂漠化が問題になっています。アフリカ、中国、中央アジア、中東、アメリカ、オーストラリアなど、地球上の広範囲にわたって砂漠化が進んでいます。砂漠化の原因としては、森林の無計画な伐採、焼畑、過放牧と並んで近代的な農業もその一つとして指摘されています。特に肥料の使用と灌漑との組み合わせによって起こりやすい塩類集積(作物に吸収されない成分が地表面に高濃度に集積して作物が育たなくなること)の影響は深刻です。
化石エネルギーを大量に消費して非効率的であること、生態系のバランスを壊して栽培ができない土地を増やしてしまうこと、といった近代農法の限界を踏まえて、近年注目されてきているのが、自然農です。自然農とは何でしょうか。人によっていろいろな定義のし方をしていますが、ここでは福岡正信さんが『自然農法 わら一本の革命』(春秋社)という本の中で掲げた四項目、すなわち「不耕起」「無肥料」「無農薬」「無除草」を、自然農であるかどうかの指標にしておきたいと思います。以下に、この四項目の内容について、ごく簡単に説明します。自然農についての詳しいことは、福岡正信さん、川口由一さん、といった方がたの本でご覧ください。
「不耕起」‥‥土は、草の根と地中のミミズや微生物が耕してくれます。枯れた草の根は、やがて「根穴」と呼ばれる作物の根が伸びていく道になります。
「無肥料」‥‥作物の収穫する以外の部分(イネでいえば、わらやもみがらなど)は、すべてそのまま地表にまき散らします。それがゆっくり分解して、養分を含むいい土になります。それで十分です。
「無農薬」‥‥作物を食べる虫はいますが、その虫を食べる天敵もいるので、極端に大きな被害にはなりません。近くに植える作物の組み合わせを工夫することによって、虫害や病気を予防することができます。
「無除草」‥‥草は保温・保水・土壌流出防止の働きを持っています。また虫たちの住みかを作って、安定した生態系を形成します。枯れた後は土の材料になります。陰が作物の成長を阻害する場合にだけ、陰を作る部分を刈ります。
これに加えて、川口由一さんの系統の人たちは、動力付きの機械を使わないで、人力で栽培をする傾向があります。これも、大切なことです。

わたしは、自然農という行為自体が素晴らしいとか、自然農で栽培された農産物が素晴らしいとかいう考えは、持っていません。人びとが長く平穏に暮らしていくためには、自然農の考え方が参考になるだろう、と思うだけです。必要があれば、農薬でも肥料でも機械でも、使わなくてはなりませんが、安易に、無批判に、それらに依存することは、したくありません。
わたしの実際の栽培は、肥料も使っていますし、機械(耕耘機)も使っています。牛乳や木酢液などを噴霧するようなことも「農薬」に含める考え方を取れば、「農薬」を使ったこともありました。わたしの栽培は、自然農の方法に学んではいますが、自然農とは言えません。
自然農法とか自然栽培とかといった農法の名称に、本質(the most important quality)は存在しません。農は、その発生以来この方、人為、すなわち、自然にあらがい続ける行為でした。上のような「自然」を冠した農法の名称は、厳密に言えば、語義矛盾です。わたしは、「主義」で栽培をしたくありません。何かの旗印の下に徒党を組む趣味も、持ち合わせません。融通のきく、ゆるいかまえでいたいと思います。
(3) 雑穀
自給的栽培で大切なことは、安定的に収穫できることです。北海道では、その冷涼な気候のために、穀物は1年に1回しか作れません。失敗すると1年間食べるものがなくなります。少しばかり気象の変動があったぐらいのことで収量が極端に落ちるようなひ弱な作物では、当てになりません。安定的収穫を狙うとなると、勢い気候風土に合った強い作物を探すことになります。ヒントは、人びとが「売るための」農産物を作るようになる前の時代の栽培生活にあります。北海道ではかつて、どのような作物が栽培され、食べられてきたのでしょうか。
考古植物学の研究成果によると(山口裕文・河瀬眞琴編著『雑穀の自然史』(北海道大学図書刊行会)を参照)、縄文早期末の遺跡からヒエ属の栽培種子が出土しています。縄文前期になるとソバの種が現れます。縄文後期になるとシソ属(エゴマか?)とアサとナス科の種が現れます。続縄文文化にオオムギの種が現れます。擦文文化にイネの種が現れます。やや遅れてアワ・キビ・アズキ・ダイズ・ウリ科・アブラナ科・ベニバナ科の種が現れます。古くから栽培されてきた作物としては、以上がエントリーされます。
ヒエが圧倒的に古くから利用されてきたことが分かります。北海道の先住民族であるアイヌ民族には、「ピヤパ(ヒエ)は祖先神が直接もたらしたもので、近隣から招来されたものではない」という説話が伝えられているそうです(前掲『雑穀の自然史』参照)。ヒエは精穀に手間がかかるのが難点ですが、独特の味わいを持つ優れた穀物です。味噌や酒を作るのに使えるなど、加工にも応用がききます。
ヒエの次に古くから作られているソバは、育てやすくて栄養価も高いのですが、収穫期が近くなったころに強い風が吹くと実が落ちてしまう欠点があります。ぜひ作りたい作物の一つではありますが、しかしこれをメインの作物にすえるのは危険です。色いろ作るうちの一つにするといいでしょう。そして、ソバの栄養は水にとけて流れやすいので、そば湯を飲むとか、そば粉入りパンやそば粉入りのおこのみ焼きにするなど、調理に工夫をすることも忘れないようにしたいものです。
ソバの次に古くから作られているエゴマは、必須脂肪酸の一つであるα-リノレン酸を多く含む食品として注目されています。α-リノレン酸は、体内でイコサペンタエン酸やドコサヘキサエン酸に変換されます。これらは水産物の脂質に含まれている脂肪酸です。これらを多く含む魚介類を食べている地域では、脳梗塞や心筋梗塞などの血栓症が少ないことが知られています(「文部科学省技術・学術審議会資源調査分科会報告」)。このことから、エゴマは「畑の魚」と呼ばれることがあります。エゴマは葉をおひたしや漬物にしたり、干してエゴマ茶にしたりすることができます。実はすり鉢ですって野菜のエゴマ和えを作ってもいいですし、エゴマ油を搾ることもできます。
アワとヒエとキビは、かつては日本人の主食でしたが、米食・パン食が普及した影響で消費量が減っていきました。1921年には21万1000haあったアワ・ヒエ・キビの作付面積が、1969年にはわずか8200haに減り、翌年の1970年には農林省統計表から消えてしまいました。近年、これら雑穀の食品としての機能性が再評価されて、また今までにないおいしい食べ方が提案されて、雑穀ブームが起こりつつあります。
北海道では、10月から4月までの約半年間は、寒さのためにあるいは積雪のために、露地での栽培ができないところがほとんどです。自給で生活しようと思うと、どうしても新鮮な野菜が不足しがちです。そこでわたしはもやしを作って食べようと思っています。もやしは、水と一定の温度があれば、土や光がなくても作ることができます。もやしは、室内でできる栽培なのです。穀物の状態では存在しないビタミンCなどの栄養素も、もやしが芽を出すときには生成されます。冬に食べるもやしの材料になる緑豆(グリーンマッペ)を夏にいっぱい作っておこうと思っています。
自分が置かれた条件の中で栽培する作物を選んできたら、結果としていわゆる雑穀と呼ばれているものたちが残ることになりました。雑穀の「雑」は、「その他色いろ」という意味です。これは相当におおざっぱな呼び方ですし、いくぶんかさげすみのニュアンスが含まれているようにも感じられます。しかし、一くくりに雑穀と呼ばれている作物たちの個こを吟味していきますと、それぞれに個性があって、とても魅力的です。厳しい環境にあってもしっかりと成長して実を結ぶ力強さは、わが身にひきつけて見習いたいものだと思います。そう考えると、「雑」的あり方も、まんざらでもないように思えて……きませんか?

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