落葉松林が尽きると、路はもはや落ち葉に埋められて地肌を見せなかった。両側には
樹
「ほいや! しっ!」
落葉松林の中の
若い農夫は樹の陰から、
幾度も同じような失敗を繰り返しながら、若い農夫は猟銃を構えて、馬車の上を狙いながらその後を追いかけた。馬車は、午後の陽に輝きながら散る紅や黄の落ち葉をあびながら、ごとごとと樹の間を縫って行った。青年は兎のように、ひらりひらりと、大木の陰に移りとまっては、そこから馬車の上に
突然、
「ほおら! しっ!」
馭者が馬を追う声がして、ぎしぎしと車体の
若い農夫は驚異の眼を![]()
*
雄吾は猟銃を右手に引っ掴んで、がさがさと熊笹薮の中を戻った。頭だけが興奮していて、脚にはほとんど感覚も力も無いような気がした。どうかすると、重心をさえ失いかけた。そして、ひどく
機会を取り
「雄吾!」
彼はびっくりして顔を上げた。彼は濡れた唇を![]()
「どこへ行って来た? 顔色をかえて、鉄砲など持って……」
同じ開墾場の佐平爺が、向こう岸に微笑んでいた。
「熊が出てね。
「熊だと? 牝兎じゃねえのか?」
佐平爺は微笑みながらそう言って、
「まあ、なんにしろ、あまり無鉄砲なごとをして、自分の身を
「本当に、熊だってばな!」
雄吾は佐平爺の慰めるような言葉で、
「俺に
雄吾は、佐平爺の顔を
「何も心配するごとねえ。それだけの度胸と覚悟があるのなら、もっと考えてやるのさ。――貴様は、自分の親父が殺された時の、本当のことを知らねえで、村の作り事ばかり信じてるから、自分の恨みせえ晴らせばいいと思っていんだべが……」
「作り事って、何が裏にあったんだろうか?」
雄吾は再び佐平爺の顔を視詰めた。――嘘つき佐平、で有名な佐平爺は、嘘をつくときには、いつも口尻を
「併し、それにあ、開墾場の最初から話さねば判らねえから……まあ、火でも焚いてあたりながら……馬鹿に寒くなって来たから……」
雄吾は倒れている大木に猟銃を立て掛けて、
*
雄吾の父親、岡本
「あんな
併しその悪口は、四苦八苦の生活に
露国との戦争が済んでから間もない頃で、日本の農村は一般に
そこへ岡本吾亮が素晴らしい話を持って帰って来たのだった。――彼の知人が北海道に無代で提供してもいい百五十万坪という莫大な土地を持っているという話だった。併しそれは道庁から十年間のうちに開拓するという条件でもらったもので、既に二十家族からの人々が開墾しているが、なかなか開墾しきれないので、残りの三年の間に開墾してしまわなければ道庁から取り上げられてしまうのだ。がそれは惜しい。誰か開墾する者は無いだろうか? 自分は道庁から取り上げられたものとして提供するし、開墾中の食糧ぐらいは貸してもいい。それは開墾場から利益があがるようになってから年々少しずつ返してくれればいいと、そこの藤沢という地主が言っているとのことだった。そして吾亮は、食うものを作る人間が食えなくなったからとて、他の職業に就いたのでは、かえって食うものが少なくなるばかりだ。だから農村の失業者は、なるべく開墾地へ行って、自分で自分の食うものを作るべきだ。そういう意味で、自分は一人でも行くつもりだが、誰か一緒に行く者は無いだろうかと言うのだった。
岡本のこの話は、新しい土地について耕作しなければならぬ村の人人の間に、非常な人気を呼んだ。彼への悪口は急に、讃辞へと一変した。
「あの人は、やっぱり、どこか偉いところがあるんだよ。俺も
こうして、ここにも二十家族に近い移住開墾者群の一団が成立したのだった。
*
彼等が北海道に渡ったのは晩春の頃だった。高原地帯の原始林は既に、
開墾地として選定されていた場所は、原始林に囲まれた処女地だった。幅三十町、長さ五十町ほどの荒れ
彼等の原始的な生活が、そこに始められた。深林を背負って、彼等は南に向けて小屋の入り口を並べた。陽があがれば野原に出て男達は木の根を掘っくりかえし、女達は
「こうして腕の抜けるほど
若い女達は、そう言い合って泣いた。
「何を言いやがるんだ。郷里で乞食が出来るかい? 乞食は大抵他国へ行ってするもんだぜ。我々だって、乞食する積もりでここさ来たんじゃねえか。土地をもらうんだぞ。よっぽどの
佐平はこう言って、
「こんなにまでして稼いだら、
こう、男達さえ言うのだった。
「馬鹿なことばかり言って、貴様達は、買って自分のものにした土地と、こうして開墾して自分のものにする土地の、
佐平の、こういう話は、皆をよく感心させたり笑わせたりした。わけても吾亮の妻、即ち雄吾の母は、佐平の、そういう話を欣ぶのだった。が、また、一番ひどく郷愁の念に悩まされているのも、雄吾の母だったのだ。佐平の考えでは、皆の淋しさを忘れさせ、郷愁の念から解こうとして嘘をつき、
全く、
*
三年の間というもの、彼等は滅茶苦茶に開墾地域を掘り捲くった。地主からの貸し付け食糧を補って、僅かに自分達の餓えを凌ぐのに足るだけの、蕎麦、馬鈴薯、南瓜などを作るだけで、それ以外の労働力はすべて開墾に注ぐのだった。完全にその土地を自分達の所有にしようとの努力だった。要するに処女地の皮を
とにかく、そして一通りの開墾が済むと、初めて地主の藤沢がそこへ顔を出した。そして彼等の小屋の近くに木造の事務所を建てた。今まで札幌の方で待合兼料理屋というような稼業をして来ている藤沢は、自分の健康のために、夏から秋だけをここで暮らし、開墾場の収穫を売り付けてやったり、開墾場で必要なものは自分が代わって取り寄せてやるなど、移住開墾者達と都会人との間に立って、彼等の売買、或いは物々交換に、いろいろ面倒を見てやりたいというのだった。同時に、今まで貸し付けて来た食糧を、その開墾地からあがる穀類で返納してもらったり、自分もここで養鶏をしたり園芸をして夏から秋を暮らしたいというのだった。
その頃から、原始林の中を抜けて、村里の方から、折々は巡査も廻って来るようになった。ひどく毛虫を
或る真夏のことだった。開墾場の人々は、事務所の前から原始林を過ぎて村里へ通ずる路の、
若い巡査は軽く
「あの、佐平って言うのは、おまえかい?」
「はい、私が佐平で御座りますが……」
佐平は起きあがって驚きの眼を巡査にむけた。ひくりと口尻を動かして微笑んだ。
「おまえは、この開墾場一の嘘つきの名人だという噂だが、僕の前で一つ、その名人振りをやってみせないかい? おまえの噂は、浦幌の方でも知らない者が無いぞ。おい、僕の前で一つその嘘をついて見ろよ。」
「どうして、旦那様、旦那様の前でだけは……」
佐平は口尻を
「誰の前だっていいじゃないか? うむ、一つやってみろよ。その名人振りを……」
「私も、
「構わんと言ったら、他の人につくのこそやめねばいかん。併し、僕の前で、どれだけうまくやるか、試みにやる分には構わん。」
皆は顔を見合わせて、油を
「どうぞ、旦那様、御免なすって……」
佐平は巡査の
「ほおっ!」
突然、佐平が叫んだ。佐平は巡査の
「どうした? 佐平!」
「毛虫でがす! 大っきな!」
佐平は眼を釣りあげて口尻を
「毛虫? どれ? どこだ?」
「旦那様の背中でがす。こんな、おっそろしい毛虫は、初めて見たな。なんて毛虫だべ?」
佐平は巡査の背中を視詰めながら、おそるおそる近寄って行った。
「なに、僕の背中に? 取ってくれ取ってくれ!」
若い巡査は、佐平の方へ背中を持って行った。
「こんな、
「そんなことを言わないで、早く取ってくれ、早く。」
「旦那様、服を脱がいん、服を……」
近くにいた誰かがその
「どこにや? うむ、佐平、何もいないじゃないか?」
若い巡査は、服の上の毛虫を見つけようとしながら言った。
「これが旦那様、私の、嘘の始まりぐらいのところで……」
皆は口から飛び出そうとする笑いを
*
開墾地の耕作は容易でなかった。若い荒々しい土は、すぐにも以前に還ろうとするのだった。ただただ土地を、完全に自分達の
併し地主の藤沢は、この開墾地の緩慢な成長が待ちきれなかった。彼は移住開墾者の代表格である岡本吾亮にまで自分の気持ちを伝えた。
「ね、岡本さん。開墾もこんで済んだのですし、そろそろ、あの食糧の方を戻してもらわれねえですかね。」
臆病な藤沢は、相談するような調子で、穏やかに言うのだった。
「冗談言っちゃ困りますよ。みんな食うや食わずで働いているじゃないですか。まあ、二三年は我慢してもらうんですね。」
岡本は強情で掛け引きというものを知らなかった。
「だがね、無利子同様の安利子で、いつまでも貸していたんじゃ、手前の方だって
「今、そんなことを言ったら、藤沢さん、あなたは殺されるよ。あの人達は、今やっと息がつけるようになったばかりじゃないですか……最初の約束だって、開墾場から穀類があがるようになったらという話だったし……それは幾らかの収穫はあるがね、自分達が食うのにも足りないぐらいなのだから……」
「いや、それはね、何も今すぐ無理にいただくという話じゃねえですがね。」
藤沢は、岡本吾亮の不機嫌な顔に
併し、地主の藤沢は、なかなかそれだけでは
「藤沢さん。そりゃあんまりじゃないかね? もう一二年の間、あなた、待てないこと無かったでしょう。一体、最初私になんと約束したんだ?」
吾亮は事務所へ出掛けて行って地主に詰め寄った。
「まあ岡本さん、穏やかに……私は決して無理にと言うのじやなくて、出来るならと、まあ話の
こう言って地主は、吾亮の、鋭い詰問と憤激に燃える眼とから
併し藤沢は、抑えている間は縮んでいる
「ね、岡本さん。この土地にも、そろそろ税金がかかるようになったんですがね。一つその、幾らでも一つその小作料を……」
話の途中で藤沢は吾亮の顔を見た。吾亮は何も言わずに、光る眼で藤沢の顔を視つめ続けた。そして吾亮は下唇を噛んだ。
「いや岡本さん、決して無理というのじゃないんですがね。なにしろその……」
「あなたは最初に、私へなんて約束したです?」
吾亮は太い
「前の話は、前の話ですがね。併しその……」
「あなたは、道庁から取り上げられた積もりで、開墾した人にやると言ったじゃないですか? 何も私等だって、あなたからもらわなくたって、あれだけの難儀をして開墾する積もりなら、いくらでももらわれたんです。ただ、手続きの面倒が省けるから、あなたが、自分の力で開墾が出来なくて、取り上げられてしまう土地をもらっただけじゃないですか。」
「その手続きがね、なかなか金のかかる……」
「手続きに使った金ぐらい出しますよ。併し、小作料なら、一粒だって、一銭だって出せません。あなたが現在使用している土地だって、私達が開墾したからこそ、あなたのものになったんだ。あなたは、それだけの広い土地を自分のものにしただけでも、よすぎるくらいじゃないですか。あなたの、名義でもらったから、あなたの所有地にはなっていても、開墾して耕地にしなかったら、あなたのものにだってならなかったじゃないですか。道庁でだって、開墾したものにくれる意志なんだし……」
「いいです。いいです。私が慾を出したから悪いので、皆さんに差し上げますから、幾らにでも、気の向く値段で権利を買い取って下さいな。」
藤沢はそう言ってまた媚笑いをした。
「金のある時にね。併し、権利は早く私等の方へ移してほしいですね。当然のことなんだから。」
「いいですとも。いいですとも。そんなこと明日にでも。」
言いながら、藤沢は、岡本吾亮のために、長い間の計画が崩されて行くのを感じた。
*
開墾場の小屋を一通り廻り終わると、藤沢は落ち葉を踏み付けて事務所へ戻った。彼は窓際のテーブルに
突然、硝子窓の
岡本吾亮だ! 藤沢はガンと
「おい!馬鹿なことを
吾亮は右腕を顔に当てながら叫んだ。同時に鉄砲の音が響いた。吾亮は
藤沢は部屋の隅から毛皮の外套を取って出て行った。彼は震える手で、微かに動いている吾亮に毛皮の外套を着せた。そして彼は溜め息を
「おい! 駐在所へ行って来てくれ。早くだ。駐在所へ行って巡査を呼んで来てくれ。大急ぎだぞ!」
藤沢は無我夢中で叫んだ。若者は声に追い立てられてすぐに駈け出した。そこへ佐平が来た。
「あ、困ったことをしてしまった。大変なことをしてしまったよ。あ、あ……」
藤沢はこう言いながら溜め息を
「どうしたのかね? 鉄砲の音がしたっけ。」
佐平はそう言って
「あっ! 吾亮さんじゃねえか?」
叫んで佐平は
「なあにね、岡本さんは、私の居ねえところから、私のこの毛皮の外套を着て出たらしいんですよ。私はまたそれに気がつかなかったもんでね。ちょうど、私はまたその時、今年もそろそろ熊の出る時分だなあ、なんて考えていたんですよ。そこへ岡本さんがこの毛皮を着て来たもんで……とにかく、大変なことをしてしまった。あ、あ……」
藤沢は溜め息を続けた。佐平は、藤沢のその話の中から、将来に向けた秘密な計画を読み取ることが出来た。佐平は、だが、巡査の来るまでは、何も言うべきではないと、黙り続けていた。
巡査の来るまでには大分時間があった。そのうちに、
「東京からここまで来て、こんなことになるなんて……私達はこの先どうしたらいいんですか……子供だってまだ働けやしないのに……」
こう言って雄吾の母は
「岡本の奥さん。その方の心配はしないで下さい。私に責任があるんですから。その方の心配はしないで下さい。私が責任を負うんですから。」
併し彼女の心が、そんなことで穏やかになる筈がなかった。穏和な情緒を滅茶苦茶に掻き立てられた彼女は、何もかも![]()
巡査が来た時には夜が
「それでこの人は、おまえとは、おまえの外套を無断で借り着して行くような間柄だったのか?」
「はい。それは、十何年前からの友達で。」
「すると、全然、過失というわけだな?」
「でも、私は、罰を受けないと気が済みません。」
こういう言葉が交わきれている間に、佐平は、啜り泣いている吾亮の妻の方へ歩み寄った。
「家を出るとき、あの毛皮を着てたかね?」
「今日は、朝出たきりでしたので……」
彼女は少しも藤沢を疑わなかった。彼の表面をそのまま受け取っているのだった。佐平は巡査のところへ引き返した。
「
佐平はこう彼等の会話の中に言葉を挿んだ。
「おい! おまえは黙っていろ。今ここで、いいかげんな嘘をつかれちゃ困るじゃないか。」
巡査は佐平の方に眼を光らせて言った。
「いや、いや、すっかり暗くなってからで……」
「宜し。じゃ、とにかく、今夜のうちに駐在所まで来て、本署まで一緒に行ってもらわねばならんな。この
「旦那様、私を証人に連れて行ってくだせえ。」
佐平はこう言って
「証人だと? おまえを証人に立てたら、どんな嘘を言うかわからんじゃないか。嘘つきの名人を、証人に立てるわけにはいかんな。」
「じゃ誰か他の人でも……」
「自首して出た者に証人がいるか。そんなことは後のことだ。――さあ、じゃ、その毛皮を背負って。」
巡査は藤沢を促してそこを立ち去った。
*
藤沢の罪科は過失致死罪だった。罰金刑で済んだ。そして吾亮の遺族である雄吾とその母とは藤沢の
「いいえ、そうまでして頂かなくも、私は東京へ帰ります。東京へ帰ったら、なんとかして食べて行けないことは無いでしょうから。」
こう吾亮の妻は言った。併し藤沢は、その以前から五六人の作男を使って自分も耕作をやっていたので、その人達のための炊事をしたり、自分の身辺の世話をしてくれる婦人を必要としていた。今までは開墾小屋から、百姓女が通って来てくれていたが、吾亮の妻にその役をしてほしいと言うのだった。
「そうでもしてもらわないと、私も気が済みませんからね。給金は、今までの倍にしますわ。」
藤沢が無理にそう言うので、雄吾を伴れて彼の母は、開墾小屋から事務所に移って行った。同時に藤沢は札幌へ引き上げて行った。彼女は啜り泣きの日の多い
翌年の春。藤沢は例年よりも早く開墾地に出て来た。そしてその夏中を、雄吾の母は、藤沢と一緒に事務所で寝起きをしなければならなかった。もちろん雄吾も一緒ではあったが、五六人の作男は、以前から他の建物に寝起きをしているのだった。
藤沢は、その年はどういうものか、ひどく
「小作料をね? この土地は、開墾すれば頂戴できる筈じゃなかったんですかね。」
佐平はこう
「冗談じゃねえ。この土地だって
「じゃ、道庁から直接もらって開墾するんだったな。今頃は自分のものになってたのに……」
こう佐平は言って見たが、それは既に遅い気の付きようだった。
藤沢は二夏を雄吾の母とその事務所で暮らしたのであったが、初雪が来て、その年もいよいよ札幌へ引き上げるとなると、彼は彼女を伴れて帰って行ったのだった。――それから後の噂は、藤沢は最近に妻を
雄吾はその翌年の夏から作男の仲間に投げ込まれた。そして、藤沢の活溌な行動は加速度をもって進んだ。小作料の取り立ては厳しく実行された。貸し付けてあった開墾中の費用の取り立てにも彼は決して手を緩めなかった。どこの移住開墾者よりも貧しい一団の移住開墾者等は、暗い陰惨な日々の中で、子供が
その頃、開墾地には美しい娘が三人いた。お糸。おせん。千代枝。その三人は次から次と五年の間にいずれも同じようにして札幌へ
*
「意気地の
佐平爺は悠長に煙草を
「貴様はやはり、雄吾、親父に似ているんだなあ。その度胸のいいところは……」
「度胸じゃねえ。
こう言って雄吾は、焚き火に
「うむ、うむ。だからやるのさ。一ぺんで、親父の
「あ、やってやるとも!」
雄吾はそう言って膝の上の猟銃を撫でた。
「その上、貴様、
「あんな、人でなしの母親なんか、どうでもいい。」
「いや! しかしな、貴様からお母さんに話して、この開墾した土地を、我々の
「併し、世の中ってそう調子よく行くものかなあ。
「だからさ、馬車に乗っている者を撃っちゃ、熊だとは言われめえってことさ。いいか。そこをよく考えて見ねばならねえんだ。」
落ち葉がまたばらばらと散った。白い煙が横に
*
開墾地にはその年も、そろそろ熊の出て来る初冬が近付いていた。
原始林を背景にして散在した移住者の小屋から、事務所はやや離れたところにあった。
事務所の灯火が消えた。おきんも寝たのだ。
「熊だあ! 熊だあ!」
若い声が突然叫んだ。暗がりに人影が動いた。
「熊だあ! 馬小屋を気を付けろ!」
移住者の小屋から
「熊だあ! 熊だあ!」
石油鑵が鳴り出した。
「熊だあ! 熊だあ!」
「事務所の方へ逃げたぞう!」
「熊だあ! 熊だあ!」
「熊だとう?」
炬火の薄明かりの中へ地主の藤沢が事務所から出て来た。鉄砲が鳴った。藤沢は
「おっ! こりゃ熊でなくて藤沢さんだで。」
佐平爺が、倒れて唸っている藤沢に近付きながら言った。
「善蔵、貴様誰かと駐在所へ行って来う。熊が出たので追い廻していたら、そこへひょっこり藤沢さんが出て来たので、熊だと思って間違って撃ってしまいましたってな。
「誰が撃ったって訊かれたら?」
「あ、俺が撃ったって言ってくれ。」
雄吾は猟銃を杖にして
「雄吾、貴様は札幌さ行って来ねえ気が? 俺が撃ったのだと言っておいてくれ。」
佐平はこう言って、雄吾から猟銃を
「この悪熊も、とうとう
「何を、馬鹿なことを。――おい、火を焚こうじゃねえか。」
――昭和四年(一九二九年)『文章倶楽部』四月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
元ファイルの入力:大野晋
元ファイルの校正:しず
このファイルは、青空文庫のファイルを利用して作りました。――栽培生活・田舎の貸し本屋さん
