関寛翁
一
明治四十一年四月二日の昼過ぎ、妙な
兎も角も上に
其後「命の洗濯」「旅行日記」「目ざまし草」など追々爺さんから自著の冊子を送って来た。面白い爺さんの一癖も二癖もある正体が読めて来た。経歴の一端も分かった。爺さん姓は関名は寛、天保元年上総国に生れた。貧苦の中から志を立て、佐倉佐藤泰然の門に入って医学を修め、最初銚子に開業し、更に長崎に遊学し、後阿波蜂須賀侯に招かれて徳島藩の医となった。維新の際は、上野の戦争から奥羽戦争まで、官軍の軍医、病院長として、熱心に働いた。順に行けば、軍医総監男爵は
爺さんが北海道に帰ってからよこした第一の手紙は、十三行の
北海道も直ぐ開けて了う、無人境が無くならぬ内遊びに来い遊びに来いと、爺さん頻りに
左に
二
「北海道十勝の池田駅で乗換えた汽車は、秋雨寂しい
別
別まで開通した開通式の翌々日である。
今にはじめぬ鉄道の
別に、
別館の片隅で、
別橋である。開通を当に入り込んだ人間が多く仕事が無くて困ると云う人夫の
「おゝ鶴坊来たかい。よく来た。よく来た」
*
九月二十五日。雨。
爺さんでは長過ぎる。
駅逓東南隅の八畳が翁の居間である。
翁は一冊の稿本を取り出して来て示される。題して関牧場創業記事と云う。
日々の心得の事
一 一家
一 朝は早く起き家業に就き夜は早く
一
一 金銭取引の
一 他人と
一 何事にても約束ある上は必ず実行すべし
一
一 火の要心を怠るべからず
一
一 流し元と
一 家具の傷みと障子の切張とに心付くべし
一
一 他人より物をもらいたる時は返礼を忘るべからず
一 買物は前以て
一 総て身分より内輪に諸事に心懸くべし人を見さげぬ様に心懸くべし
一
一 種物は成るべく精撰して取るべし
一 農具は
一 貯金は少しずつにても怠るべからず
一 一ヶ年の収入に応じて暮方を立つべし
一 一家の経済は家族一同に能く知らせ置くべし
一
一 他人より
一 場内の農家は互に諸事を最も親しくすべし
一 平生自己の行に心を尽すべし且世上に対すべし
明治四十三年
翁はもと/\
午後アイヌが来たと呼ばれるので、台所に出て見る。アツシを着た四十左右の眼の鋭い
河西支庁の測量技手が人夫を連れて宿泊に来たので、余等は翁の隣室の六畳に移る。不図硝子窓から見ると、庭の楢の切株に
四時過ぎになると、翁の部屋で謡がはじまった。「今を初の旅衣――」ポンと鼓が鳴る。高砂だ。謡も鼓もあまり上手とも思われぬが、毎日午後の四時に
夕飯から余等も台所の板敷で食わしてもらう。食後台所の大きな暖炉を囲んで、余作君片山君夫婦と話す。余作君は父翁の業を嗣いで医者となり、日露戦後![]()
しく流しもとに立働いて居ると、隅の方にはよく兎を捕ると云う大きな猫の夫婦が箱の中に共寝して居る。話上手の片山君から創業時代の面白い話を沢山に聞く。
別![]()
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九月廿六日。
翁の縁戚の青年君塚貢君の案内で、親子三人
別
別谷
別川クンボベツ川斗満川の相会する
を東のトマリとして南に折れ、三川合して名をあらためて
別駅
別市街も其内にある。鉄道院では、池田駅高島駅等附近の農牧場所有者の姓氏を駅の名に附する先例により、今の停車場も関と命名すべく内意を示したが、関翁が辞して
となったそうな。市街は見ず、橋から引返えす。帰路斗満橋上に立って、やゝ久しく水の流を眺める。此あたり
別橋から
別川の川床荒れて水の濁れるに
別川の其れより三四度も低いそうな。人跡到らぬキトウス山の陰から来るのだ。
駅逓に帰って、道庁技師林常夫君に面会。
昨夕来泊した
午後は親子三人、此度は街道を西南に坂を半上って、牧場の
駅逓にはいる時、大勢の足音がする。見れば、
夕方台所が賑やかなので、出て見る。真白に塗った
夕食に
要するに斗満も開けたのである。
九月二十七日。美晴。
今日は斗満の上流ニオトマムに
阪を上り果てゝ、![]()
別谷
やがて放牧場の西端に来た。直ぐ
別なんぞは
別
茶を飲みながらふと見ると、壁の
斗満川辺の少しばかりの平地を
茶の後、直ぐ川を渡って針葉樹林の![]()
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日はもうとっぷり暮れて、
それから話聞くべくアイヌを呼んでもらう。
惜しい夜も![]()
九月二十八日。微雨。
関翁は起きぬけに川に
朝飯後、天幕の諸君に別れて帰路に
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天幕を出る時ぽと/\落ちて居た雨は
関翁は過日来
此夕
九月二十九日。晴。
今日は余等三人余作君及貢君の案内で、放牧場の農家を見に出かける。阪を上って放牧場の
午後は又一君の案内で、アイヌの
別川
別は一目だ。関翁は此坂の上に
夕方三人で又一君宅の
夜
九月三十日。晴。雪のような朝霜。
最早斗満を去らねばならぬ日となった。
早朝関翁以下
別で余作君に別れ、
余の胸は一ぱいになった。
君に別れ十勝の国の
今
かへり
心に響く
雲か山か
斯く出たらめをはがきに書いつけ、
三
武蔵野の彼等が斗満を
翁は斗満に帰ってから、
眺めて独君をしぞおもふ
程なく翁から其
「
辞世 一
八十三老白里
辞世 二 骨も身もくだけて後ぞ心には
永く祈らん
八十三老白里
死後希望 露の身を風にまかせてそのまゝに
落れば土と飛んでそらまで
八十三老白里
死後希望
富士の
八十三老白里
*
七月初旬、翁の手紙が来て、余作君は斗満を去り、以前の如く医を以て立つことに決し、自身は斗満に留ることを報じた。
寄川恋
我恋は
夜ひるともにやむひまぞなき
病床独吟
憂き事の年をかさねて
尽きざる罪になほ
死後希望
身は消えて心はうつるキトウスと
十勝石狩両たけのかひ
翁の
四
翁が晩年の十字架は、家庭に於ける父子意見の衝突であった。父は
最後の手紙を受取ってから四ヶ月過ぎた。武蔵野の家族が
翁は十月十五日、八十三歳の生涯を斗満なる其子の家に終えたのである。翁の
翁の歌に、
遠く見て雲か山かと思ひしに
帰ればおのが
底本:「みみずのたはこと(上)」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年4月15日第1刷発行
1996(平成8)年12月10日第30刷(入力)
2001(平成13)年11月7日第32刷(校正)
「みみずのたはこと(下)」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年6月1日第1刷発行
1996(平成8)年12月10日第25刷(入力)
2001(平成13)年11月7日第27刷(入力、校正)
底本の親本:「みみずのたはこと」岩波書店
1933(昭和8)年刊
元ファイルの入力:奥村正明、小林繁雄
元ファイルの校正:小林繁雄
●表記について
「くの字点」は「/\」で表しました。
このファイルは、青空文庫のファイルを利用して作りました。――栽培生活・田舎の貸し本屋さん
