農村自制論
権藤成卿

   一、農村疲弊は当然の理勢

 我農村は実に甚しく疲弊せり、将さに疲弊より衰滅に近づかんとする状況である。是れ不測の災変、人事不可及の結果なるや、将た必至の推移、当然の理勢に基由せるものなるや、予は遺憾ながら之を当然の理勢に基由し、自ら之を招致して此に到れるものなりと云うを憚らぬ。
 今や農村救済の声は、貴賤上下到る処に喧しく、百家百説暁々嗄々たる有様なるも、皆な目前の苟安策のみにして、現状に即して現状を改めんとするもの計りである。彼の食糧局の米穀管理と云い、自作農保護政策と云い、繭糸保護方策と云い、肥料配給施設と云い、雑然紛然何の効果も挙げず、然も此間に米穀の官営専売論も起り、農民債務の支払延期乃至打切り論も起り、政府当事者は財政難に直面して、実に窮計百端、あらゆる手段を尽しつつあるも、農村の窮状と商工業の不振は、何時回復すべくもなく、一面に生産過剰物価低落を唱えながら一面には東北地方に饑餓地を造り、一面には食糧局の倉庫内に鉅額の腐蝕米を蔵しながら、一面には学校庭内に欠食児童を出し、而も其不景気回復を唱導せる言下に、驚く可き失職者の増加を見るのである。今ま之を如何に冷静に観察するも、不安危虞の外何物も認められぬ。
 殊に是の不安危虞の現状中に於て、一入不安危虞の深きは農村である。我国に於ける農村は国の基礎であり、成俗の根源である。現在我農民は人口の半数を占め、且つ全国土の大部分は其手に利用され、国民の主食物は勿論、工業原料、商業物資の大数は、皆農民の力に産出されて居る、而も此の一国の主力たる可き農民は、如何なる基礎に立ち、如何なる権能を具備せるや、若し已に基礎も権能も喪失せりとせば、農民の将来は闇黒である。本来此の基礎と権能は、自制力の発見である。故に農民各自に自制力なければ、農村の自治はできぬ。自治ができねば、自主の力は起らぬ。自主の力なければ、自存共済の公序良俗は保たれぬ、此見地よりして今の我農村を通観すれば、農民自ら其自制力を抛擲して、今の苦艱を迎えしものと云うも、否まれまい。
 現行市町村制は、明治二十一年四月十七日、伯伊藤博文を総理とし、伯山県有朋を内相として、「地方共同の利益を発達せしめ、隣保団結の旧慣を存重し、益す之を拡張す」との詔旨を奉じ、之を公布せしものである、爾来既に四十五年を閲みし、其間あらゆる曲折を重ね、共同利益の発達は、個人尊重の気勢に掩圧され、隣保団結の旧慣存重は、これを拡張する由もなく、其自治体に、食糧管掌の権も、人事仲裁の権も、治安防衛の権も認められず、悉く皆な官命に支配され、自治とは醜劣極まる代表議員の選挙、取留めもつかぬ党派的利害感情に始終し、苛重なる租税の負担と、増積せる債務の督責に耐えざる今日に及び、猶お自覚的奮起の気勢なく、只だ徒らに渋苦を叫び、哀憐を求め救恤を待ち、共同団結の権威を失却するは、自ら我歴史ある農本自治の公典を破却し、明治大帝の叡旨を抛擲することとなる。予は微力ながら我国制度学研究者の立場よりして、此に二三の管見を述べ、大方の教を乞うこととする。

   二、我自治の成俗

 自然而治は、謂ゆる元始自治と称するものにして、いずれの民族にも其形影を認められ、我日本には殊に明瞭に神話神典に確認され、橿原発祥の初頭に於て、此の自治而治の成俗を基礎として、御大謨を定めさせられ、「苟も民に利あらば何ぞ聖造を妨げん」と云う御詔誥を下され、第十代の崇神朝に至り、農本の御宣命となり、社稷構成の基礎、農村に在ることを明にし、国としての統制を正だされた。故に肇国天皇の諡号を上りたのである、是より成務天皇の時に、自治の成文立制が準定され「民自ら治めしめ、敢て其習はざることを強いず」との聖旨を以て、地方代表の選出より地方官の任補、耕田に依る民戸の配置、公賦の均平、食糧の貯蔵、乃至其管理等、都ての要綱確立し、民衆の自治的熟談協議に依り、公同事務を決定し、共存互済の公序良俗を助成さるることとなり、此に自治の公典確立し、仁徳天皇の御政沢も「百姓を本とする」云々の御聖旨に出て、雄略天皇の果断なる御廓清も、自治公民の御愛撫に成り、而して大化の大廓清も「上古聖玉の跡に遵う」との御詔旨、乃ち自治の公典に遵由して、土地兼併の悪弊を厳禁され、「田に依り戸を配す」る、成俗従来の遺習を規律的となし、班田収授の公規を実施し、百世の政理を聞かれた。
 故に天武朝以来、譜代官治の組織に変じ、仏教の昌盛、僧侶の驕慢其極に達しても、農村は固く自治の成俗を維持し、平安朝の摂政関白時代にも、猶お其遺習を守り、荘園の濫設、荘司目代の暴歛誅求となり、民乱の紛起に、聊か其農民の自主権を発揮し、源義家の東国靖撫を以て、自衛自治の気風を起し、鎌倉幕府の創立となり、変則的自治組織となり、足利氏二百余年の戦乱時代にも、徳川氏の諸侯分封時代にも、全く其成俗を喪わざりしものが、却て明治の欧米模倣制度に依り、現況を招致せしは、蓋し何故であろう。
 予は嘗て市町村制の実施に当り、当局者が責任を以て公示せる市町村解説を読み、実に痛歎に耐え得なかったのである。当時欧米の個人観に即せる法制の模倣を以て、市町村制の条規を編せしが為め、共同自治の成俗は冷然一擲され、悉く之を個人化即ち法人となし、而も其自治体の共同権能は、之を地方分権の一部として、政府より之を付与するとの申渡であった。本と我古俗の自治結束は、民衆の共同生活を基礎として発達せしものなれば、其個人区々の競利動作に依り、共同の福祉を侵害することは、絶対に之を排斥せるものであった。然るに欧米の個人権利の主張は、飽まで個人の所有権を尊重し、適者生存、不適者の不可生存を当然として、生存競争を公認せしものなるを以て、彼れに於ては、個人区々の集団を名づけて共同と謂い、我れに於ては成俗自然の斉一協合せるもの名づけて公同と称したのである。
 故に彼の個人を認むるは、只だ単一なる個人にして、我は人を単独孤生のものとせず、其初めて生るるときより、母と二人の関係があり、次第に生長するにつれて、近親隣閭師長朋友の関係起り、人と人との共同的調和に依って自然而治の公序良俗を開きしものとして公例を定めたものである。今ま其当否是非の論は暫く措き、此起点に大なる相違あることは明瞭である。且つ当時の伯伊藤、伯山県を初め、当路の責任者が、全く此に考慮せざりしは、此国民成俗滅却の原因を造ったものであろう。

   三、人類安定の公例

 本と人類は、既往を後にし将来を前にし、安全に活きることが最要条件である。故に衣食住男女の調斉が、今往古来渝ることなき人類安定の公例である。
 只だ単に活きると云うことは、最低限度である、最低限度以下は死である。故に更に一層幸福に活き、出来得る限りは最も満足に愉快に活き、将来子孫の安全なる成育と、漸化進歩を欲求して已まぬのが、人生の天稟である。併しながら其各自個人の単独に活きるが為めの努力を、為すが儘に任せ取るが儘に委ねて置けば、競利動作を起し、自己が活きるが為に、他の生きることを侵害し、強い者が弱い者を凌ぎ、遂に人々相噛むの勢となる。そこで愛敬忠恕の自然教化が起り、公同自治を構成することとなった。天智天皇の詔に「天下は大同にして都て彼此なき者なり」とは、此の古成俗を紹述せられたるものである。
 愛敬忠恕の古義は、後世の権力者の為に演述せられたる解釈とは同様でない、愛は親子夫妻朋友の愛、之を拡充すれば人の事物に対する都ての愛ともなる。この愛情は毎に溺れ易いものである。故に敬即ち相敬慎して取り濫さぬ様にする。忠とは字象の通り「中心」即ち心の中する所、人の偽りなき心の発露にして、志操に忠なるも職責に忠なるも、君長に忠なるも家国に忠なるも、身命を捨て三族を亡ぼすも、其心に満足する迄やり透すことにして、是れが直情巡行に過ぐれば、或は無理が起る。故に恕(おもひやり)己れの心を推して人の心を測る、人情自然の思慮を尊重して、大衆相互の公例を正だしたものである。故に信ずるも信ぜざるもなく、鬼神を敬せよ官司を敬せよ、恩恵あるもなきも、主長に忠なれ命令に忠なれとは云わぬ。故に崇神天皇の詔に「爾の忠貞を竭せ」とある。是れ明らかに各自の偽なき心を竭せとの聖旨である。後世の官学究の机上に製造された、忠君愛国説とは大なる相違である。
 是を以て民衆の公同生存が、其忠実なる情操に固成され、互に相敬重し相恕容し、和脩協睦して、将来ある生命を人類漸化の順序ある行程に推し進むる公例が現われ、その自ら治まるべき規矩準縄次第に定まり、自制の結果に自治を成し、自治の存立を公同権能に置く秩序が立った。此の公同権能とは、現今の謂ゆる自主権である。

   四、自制力の喪失

 小児が父母の手より離るれば、逐次に其身の回りは、自分にて処置する様に教え、それより其それぞれの性能を開き進めて、自ら一身を立つる順序に入るのである。性能を開き進むるとは、各自の天稟が心術に勘適応する者もあれば、力作に適応する者もある。故に有形無形其生れ付きの体質智力に適応して、人事百般の作業を執り、相脩協和協して天の化育を助け進むれば、人類社会は必ず自然にして治まる。故に必ず先ず自制を正だすのである。
 自制とは自己のことを自己に於て節制し、自家のことは自家に於て節制し、自村のことは自村に於て節制し、之を一県一国に拡充して、独立の基礎となすのである。故に其民族に自制力が欠乏すれば、決して満足なる自治は望まれぬ。自治が望まれねば、一国の政治は常に紛錯を極め、国費は限りなく嵩み、国民は負担に耐えきれぬ様になり、遂に一国独立の基礎を危くすることとなる。
 今ま我国の現状は、其民衆に如何なる自制力を具備せるや、其各家庭の情態より教育情態に至る迄、何一つとして自制を主眼に性能を啓発せるものはない。且つ町村に於ても、自制を主眼として組織されたるものを見ない。予は屡ば各地の町村に招待され、行く処学校教師乃至町村公子諸子に対し、自治は如何なる要素に依り成就し得らるるやの問を試みしも、是に対し信拠ある答弁を与えしものは一人もない。但だ予が自制を説くを聴き、只だ瞠日長嗟するのみである。
 此の謂ゆる自制とは、公同的にも必ず其衣食住日常の節制を立て、共存互済の規矩を正だすことである。然るに現今の情況は、教育宗教都てのものが、此点に対し何等の理解ある定説もなければ論拠もない。而して一般民衆の市町村会議員県会議員乃至、衆議院議員撰挙投票の有様は、無節制より破廉恥に移り、其自制観念は皆無である。予は国民全部悉くとは言わぬが、大数の者は皆な然りである。乃ち此自制心を抛擲したる民衆の手に撰出せし所の代表者が、小は自治体の理事者、中は地方、大は一国の立法府に立ち、各人各個の負担の多寡、乃至農商工百般の政務の緩厳伸縮を議定することは、固より大衆の知悉せる所であろう。換言すれば民衆の自ら撰出せし代表議員が、経済財政より国防教育都ての問題を議定し、現今を招致せしことなれば、如何に疲弊するも、疲弊より自滅に陥いるも、固より何等の不平も不満も言われまい。
 由来我国に於ては、商工民に自制力薄くして農民に厚く、為に農村に依り多く公序良俗を保持し来りしが、現今の情態は、農村も亦た等しく頽濫を極め、公人選挙の如きは、実に醜劣なる実行を続け、甚しきはこれを以て通有慣行となす者まである。此の公民の自制なき有様と、既成政党の慢濫なる有様とを対観し、彼の陰柔狡陰なる官僚の余類を左に控へ、貪戻拮猾なる政商を右に置き、尚お我が農民は、自制なき公人選挙を続行するであろうか、将た此に醒覚し、奮励一番××××××××××××、自制の準縄を正だし、自救的活路を開くであろうか。

   五、自治学説の原理

 現在に於ける我官公制度の組織は、百事都て之を官公吏の管掌権に置けるが為に、実に世界の文明国に比類なき多数の官公吏を要し、随て鉅額なる政費を糜す訳である。彼の民刑事務の集積と云い、徴税事務の凝滞と云い、如何に官公吏を増加しても及ばず、政費は益す嵩み、負担は益す重もり、財政の窘迫は兌換銀行に対し兌換を休止せしめる迄になって居る。
 而して農民は無慮百億に近き債務を荷い、農産品の下落殊に繭価の暴落に遭い、惨然たる状況を呈せるは、故らに此に云為する迄もないが、之れを従来の民力誅剥計画より見るときは、都て必至当然の帰結にして、我輩が微力ながら、一学究の立場より著述に論策に予め其警告に努力せしも、大方の一顧に値せざりしは、今に心釈然たるを得ざる一事である。然も是れ落後の牡丹、寂寥たる送春の風雨を聴くのみであろう。
 乃ち彼の株式会社日本銀行を始め、数箇の特殊銀行は、実に優越なる保護に立ち、年々鉅億の金利を収得し来りしが、盈虧の数は避くる由もなく、遂に貸出金の回収難より兌換の休止となり、又た東京市を始め地方諸市の拡張は、農村との比例を破り大厦高楼漸く善美壮麗を画せしも、商工業の枯衰と共に、到る所収支相当らず、多く四苦八苦の状にあるは、何の兆象であろう。其他一々数え来れば、固より列挙に遑ない程だが、是等の諸大計画に対せし、民衆の代表たる議員諸君は、如何なる態度を取り、如何なる議定をなせしや、予の知れる範囲に於ては、事毎に其誅剥計画を賛襄し、只管中央権力の拡張に努め、間ま是に依り位置を贏ち得、又は巨利を占めたる者もある。是れ民衆の今日の苦痛に陥いりし大源因にして、之れが為の祖宗代々の努力を以て築き上げたる土着基礎を喪失し、禍を子孫に貽ることは、実に大なる罪悪である。農民諸君は何故に是の如き代表者を撰出せしや、自ら其良心を敲いて貰いたい。
 自制自治、自主自救の、生気溌刺たる歴史ある日本農民は、磐々乎たる国の支持者であった。今日に於ても将来に於ても、国の支持者であらねばならぬ。其支持者たる者が、大誅剥機関たる特殊会社の保護に鉅額の負担を忍び、大消費機関たる尨大なる都市の拡張を是認し、子孫存続の基地を危くするに至り、農村救済の叫をなすとは、余りに腑甲斐なき訳ではないか。汝を救うものは汝である。其以外は悉く汝に征りて汝に臨む者である。本と農村の最善なる自制の結果は、極点迄に官公吏を減少することが出来る、其実例は沢山だが、吉宗将軍の時、幕領の詐訟事件が、百分の三以下になったと云うが、之を現代に参照すれば、大正初年頃出訴数と犯罪構成数の比例は百に対する六強位と云えば、若し町村に自制的仲裁権能が認めらるれば、司法警察は撤廃され、司法官は其割合に減少さるる事となる、又た徴税官吏の如きも何を苦んで今日の様な多数の必要があろう。前例に明瞭なる所なるも、紙数に限りあれば、これを取省き置く。要は只だ自制的に自治すれば、自然に役人の必要がなくなり、負担が随て軽減さるることを理解するが肝要である。
 本来自治学説の原理とする所は、人を以て人を治むることはでき得られぬ。「在宥天下」とは此義であると云うのである。制度綱には、人を以て人を治むる極点は、終に一民に一官を付しても及ばない。故に民衆互に自ら治まる様に自然の化育に導びき誘《すす》め、彼此の差別をなくすれば、人々互に修睦協和し、教えずして自制の規矩準縄ができる。天智天皇の詔に「天下は大同にして都て彼此なきものなり」とは、此政理に出たものである。
 乃ち此人に依りて治めらる筈でない。我が自治公民の集団たる農村が、だれに向い救済を求むるのであるか、もし無理なる征誅あれば、一も二もなく拒斥す可しだ。無道なる徴求あれば、大も小も排除す可しだ。農村との比例を逸せる都市の要請に賛襄せし議員輩は、之を農村の反逆者として、手痛き徳義制裁を加えるが当然である。農民に此元気もなく此意気もなく、従来の儘醜劣なる選挙投票を悛めず猶お尚お既成政党に追随するならば、立法府の権威は、竟に我公民を徴誅征圧し尽し耕夫の牛を取り饑児の食を奪うことを肯定するに至らん。我農民諸君は是をも猶お之れを通有常事として容認し唯諾するのであるか。

   六、中央の澎張と地方の疲弊

 目前に計画されつつある大東京市は、其地区現在市区の五倍に上り、当面の経費八億有許、六百万人以上の人口を包容するに足る、雄大荘麗前古比類なきものである。今ま現東京市人口二百余万、市外隣接地点の人口を合せ五百万と号する。中央の人口集中は、之を全国人口に比例して、頎危極まる情勢である。而も之れを更に助長援護して、其拡大澎張を図れるは、極て複雑にして陰微なる、理由もあり打算もある。
 東京市は日本の中央都市と云わんより、寧ろ東亜の代表都市である。而も皇城の所在点々として、其壮観を開くのは当然であると云うのが、最近に於て後藤新平君が強調し、多数の東京を基地とせる富豪連が、均しく其利益の為に唱和せし所である。尤も是等は地方を無視しての中央計画である。農民が生きるも死ぬるも全く顧慮する所でない。そこで其計画は、学校より懽楽場、商工重要機関の都てに依りて、地方力を誅剥する組織を立て、政治中枢点たるべき主眼を逸し、其盛観を装うのである。地方人が年々其遊覧費乃至諸種の運動費、子弟の学資等に費やす所は、実に驚く可き鉅額に上るのは何人も承知であろう。若し之を単なる政務中枢地点として経営すれば、七十万人未満の包容規模を以て十分である。政務中枢点としての本務は、政務を支障なく執行するにあれば、寧ろ無用人口の麏集は、その妨げである。彼の秦始皇の阿房宮、隋煬帝の未央宮、ルイ十四世の巴里経営等は、一国を脳充血症状に陥いれし前例にして、我国に於ても奈良平安の土木興造は、いずれも共に人民を枯渇せしめ、皇室を式微させた大原因である。
鎌倉幕府が大江広元の意見を採り、最も修約なる中枢機関を設け、「城府の繁昌は郡邑の枯衰なり」との趣旨を以て民政を正だし、大に効果を顕わせしは、深く審考せねばならぬ前例である。殊に東京は、商業地としての資格も、工業地としての資格も全くない、只だ国費生活者の集合せる一大消費地、而して其内は共喰《ともぐい》民の行詰り場所である。之れを我農民諸君は如何に観察して居るか。
 予は此の中央の限度なき澎張を見て、之を地方農村の疲弊に比較し、実に寒心に耐えないのである。其鉅億なる農家債務の償還と、苛重なる租税の誅求は、農民の膏血を絞り尽し、為に施肥の余力なく、農産減収の傾向を迎え来り、甚だしき地方は、戸口の減縮或は前住民の離散、鮮農の漸入を見る所もできた。かくして悉く我古来の成俗を抛擲するとなれば、我口本は埃及と同じく、ピラミッドを遺留する丈けの空国に換るであろう。予は嚮きに責任ある某将軍に就き自作農の減少せし地方の壮丁と、自作農多き地方の壮丁との比較を質せしが、その兵丁の素質に於て、驚く可き優劣あることを聴き、是も亦た我古来農民の土着を基礎とせる本旨の一つであることを確かめた。

   七、官僚一般の通有観

 限りある国土内に於て、此の急激なる人口の増殖は、都市人口の麏集となり、失職民の増加となり、競利的抗争となり、今口の現状を見るは当然である。当然のことは、只だ当然の現状に依り、処置するの外はない。大勢の自然淘汰が是れであるとして、其都ての現法制を肯定し、別に何等の考慮を払わなかったのが、明治以来の官僚一般の通有観であった。然るに米国の漢人排斥以来、海峡植民地帯も多く我移民を抵制し、其他いずれの地帯も之に傚いしは近き過程である。而して、朝鮮併合となり、多少我農民の移住を見しも、其反面却て朝鮮人の転入となり、相殺すれば剰民更に多きを加うることとなった。且つ北海道は、富豪及権力者の土地兼併に依り、土着農民の発達を阻碍し、我当局者の移殖民計画は、何れの方面も失敗に終り、此間に於て一面に忿起せし労働争議乃至小作争議は、声勢相和し、社会は益す不安の傾向を招くに至り、彼の居然として現状を肯定し来れる官僚輩も、之を不問に置き兼ね、社会政策を施行することとなった。是の如き見地に依れる政策なれば、其目的とする所は、蓋し自家擁護当分の小康政策なるは勿論である。
 且つ此間の経済政策として、特に力を尽せしは、郵便貯金の勧誘、耕地整理及農業資金の融通、養蚕及製糸業の奨励等であった。郵便貯金は実に其目的を得、中央の資金集収に大便利を与え、当局の財政運用は多く之に依り疏通せられ、耕地整理は其名の如く幾分かの耕地は整理され、多少の収穫を増加せしも、事実は耕地兼併者の利益となり、細農若くは小作人は、比較的利潤なく、只だ其特殊銀行に依り貸付されたる資金利子が、年を逐うて農民を誅殺する結果となれり、現今の百億に近き農家債務の大部は是れである。養蚕及生糸業の奨励も、生糸の輸出一時は我貿易の主位を占め、之に依り国際勘定を調整し来りしが、当局者は、全く盛衰盈虧の理を忘れ、明治季年以来各方面の警戒意見を拒斥し、資本家を擁して生糸業の保護に専念し、是を以て最善の方法を尽せりとなし、全く誡むる所なかりしが、突急なる生糸商価の暴落に逢い、周章狼狽度を逸し、ありとあらゆる失計を重ね、農家唯一の副業を顛覆し、今に至り猶お其善後措置を講ぜざるは、如何にも頼りなきことではないか。
 由来農民土着の主眼とする処は、土毛即ち其土の生産物に存活するにあり、故に其生産物を商品化することは、大に注意を加えたものにして米産国民一般の恒例である。幕府時代に於て、四国九州の諸藩が、藍草栽培に細心なる注意を払い、必ず食糧生産を侵さざる程度に限り、之を許せしが如き、深く考察す可き一例である。我国が明治以降、農産品を悉く商品化せざれば、納税も出来ず、隣閭の交際も出来ぬこととなし、市価の高低浮動極りなき生糸の産出に、何等の注意もなさず、之を以て農家の重用産業となしたるは、決して農民土着の公例に副うものではない。

   八、米産地域と麦産地域

 予は嘗て米産諸国の農村構成と、小麦産諸国の農村構成が、其沿革に大なる差違あることを発見し、其両者の制度習慣を対観し、暹羅安南等より、支那各省幷に朝鮮の農村が其根本に於て欧米の麦作諸国の習俗に相違し、之を一律に見て、其経済措置を立てられぬ、的確なる理由を発見した。明治以降我農制学の諸家が、米穀措置を立つるに、悉く其模範を麦作地帯たる欧米諸国に求めたるは、羊と豚と飼養を同うするの愚を学べるものではないか。
 但だ予が此の十余年来の考究は、紙数に限りあるを以て、その大体の発表は之を他日に譲り、ここには単に米産地と麦産地と、其農村の構成発育、乃至成俗恒例等が、全然本質を別にし、米産地域がいずれも土着を根本として修約的なるに反し、麦産地域が多く収利を根本として都て商事的なるを一言し、殊に我国の如く、上古より米産を主位として例制を開きし国が、麦産国の模倣制度に依り爕理せられぬことを警告し、現下に於ける農林当局の米穀需給政策に対し、特に精刻なる注意を加うべきを促し、幷で満蒙殖民計画、アマゾン移民計画等に対しても、将来に錯誤なきを祈り、ここに一二の管見を述べ、大方の顧省を待つこととする。
 満蒙地帯の独立は、其内容頗る複雑を極め、彼の単なる独立声言のみにては、猶お不安点も尠なくないが、未だ我輩に忌憚なき議論を下すの自由がない。但だ満蒙は未だ従来の版図主たる中華民国政府より、其独立を允許せるものでもなく、列国の公認せるものでもなく、我国の藩属でもなく付庸でもない。而も其在留民は、従来の満蒙人四五百万なるに、漢人の漸入は三千万に近く、 これに朝鮮人百四五十万人と、我満鉄従事員等二十余万人、其数字は固より正確とは思われぬが、大体漢人が大数を占め、随て農商地盤を造れるに対し、我国が××××資力を以て鉄道を管理し 、経済上の枢機を握り居るのであるが、我国民は未だ農業土着の拠点を造る迄になって居らぬ。而も幸に満州新国が確乎不抜となり、我殖民に安全なる土着が公認されざる限りは、農業土着の拠点は容易にでき得られぬかと考えらるる。且つ漢人の多数勢力が 、将来に於ける満州の組織基礎となるであろうか、将た、我国の武力と経済力が、之を統制するであろうか。
 アマゾン移民問題は、両三年来或る一部の人士に依り唱導され、已に少数の先発者もありしが、其地域余りに遠隔なると、祖国関係の懸絶せる為め識者間には聊か不安を以て迎えられたるの感がある。殊に従来に於ける南米移民が、棄民同様の結果をなし、悲惨なる話題を遺せしことは、必す考慮の中に置かねばなるまい。
 之を要するに移植民の恒例は、第一、祖国との関係親善にして、交通往復便宜なるを要し、第二、風土気象衣食住居の差違あるも、子孫の蕃殖に支障なきを要し、第三、敵国の津関遮断、乃至優勢民族の圧迫なく、祖国援護の及ぶべきを要するものとしてある。若し以上の三綱に随わざれば、移殖民の成効は覚束ないのみならず、三四代にして子孫滅絶するのは、其考左甚だ明瞭である。現に戦国末季に於て、我流民の比律賓に土着せしものの如きは、早や已に退滅し尽し纔に哀話を留むるのみである。
 本と移殖民とは、如何なる定義あるものなるや、従来屡ば国際上の問題に上りしこともあるが、未だ的確なる決定がない様である。今ま是を東洋諸国の沿革史上より一考すれば、其国土内に於て、甲地より乙地に移り、又は属国乃至付庸国、或は曠土毛野に向い、移り住するを移民と云い、特に一定の土着蕃殖を目的として移り住するを殖民と云い、他の宗主権ある国土に移り住するを帰化と云い、国命を以て他国に贈付せらるる者を生口と云い、其名称の異る如く、其各自の心得方より、政治上の取扱様式も殊別されたものである。九州山陽乃至阪東の人民が、東北に移殖せしが如き、其自治単位たる邑里が、第二邑里を構成する順序を立て、氏神を奉じ、食糧倉庫を置き、駅逓往復を便にし、移住者の安定、子孫の蕃殖を基調として経営されたものである。帰化民は、我国に於ては、帯方一百三十七県民の帰化が、曠古の大事業であった。其人民が我国に帰属せし上は、百事我国の節制に服するが当然である。故に我国より他の国に帰化する者も、必ず其国の節制に服することを、公徳公義と心得ねばならぬ。他国に帰化していつ迄も祖国愛に囚われ、その教化にも服せず、風尚にも染まないのは、決して我国古来の習慣ではない。明治以降、我米国移住者乃至出稼者が、酷だしき憎悪を受け、是より南洋諸邦のいずれの方面も、其宗主権ある疆土は、約束の如く排斥の声を揚げ、節限、閉塞、駆逐等、実に無礼極まる政策及手段を執るに至りしは、只だ彼等の暴慢無道のみではあるまい。我当局者にも教育家にも、根本的に誤れる祖国愛の痼疾をなせるものが、対手国の憎悪を招致せし訳ではあるまいか、克く其根本を明にして、朝野上下の規度を正だし、国民進展の方略を定むるが、何よりも先決問題である。
 人類の始元は一である。世界一民の説は、自治公典の根本起源である。故に人の性情に黄白の差別はない。然るに道徳基礎に異同を劃り、特種特別を誇張し、世界に通用せぬ理窟を列べ、強て祖国愛の囚われを打ち堅め、和好善隣の天則を紊だすのは、我余剰民をして第二の自治国を創開さする大障碍である。幸に我同胞国民が此に自制的に醒覚すれば、其第二国の創開地は、まだまだ沢山ある。満蒙は勿論、台湾の対岸支那の南面一帯の沃土には、猶お尚お五千万以上の農民土着地が無理に閉鎖されて居る。今ま何を苦しみ呼応困難なる寥遠の地に、棄民の計画を立つるのであるか。

       (制度の研究 第二巻第十号 昭和十一年十月号)
 


底本:『権藤成卿著作集第七巻』黒色戦線社
   昭和63年9月20日発行

栽培生活芽には芽を葉には葉を
権藤成卿『農村自制論』