暖室
十月には、河沿の草原を訪ふて、葡萄を摘み、其累々たる房なりを背負つて歸つた。其美しさと香氣とは、食物以上に貴く思はれた。この草原では又、草にぶら下つて、眞珠色、或は紅色の小さい蝋光りのする、寶石のやうな岩越橘を賞したが、これは別に摘まうとはしなかつた。農夫は無恰好な熊手を以て、之を掻取つて其後を散々に荒し、無頓着に一束幾弗と數へて、この草原の産物を、ボストン又は紐育に賣出すから、岩越橘はジヤムに製せられて、僅かに自然を愛する都人士の趣味を充たすに終るのである。伏牛花の鮮やかな實も、之と同じく唯余の眼を慰めたのみである。唯、野生の林檎だけは、半熟煮として食ふ爲めに、僅か許り、挘いで歸つた。是れは、地主も旅人も見落した物である。栗が熟すると余は冬季の食料として、之を一斗くらゐは貯へて置いた。其時節に、リンカーン近邊の、涯際もなく廣い栗林を、縱横に徜徉するは、いとも快心の事であつた、――此栗材は今や鐵道線路に、長へに眠つてゐる。――肩には一つの嚢を引かけ、又、余は何時も霜の降る時まで待たなかつたから、毱果を破る爲に一本の杖をも携へて徃つた。木葉はカサカサと風に鳴り、赤栗鼬や、掛巣は聲高く叫んだ。余は時に彼等の半ば喰荒した毱果を盜んだが、夫れは、彼等の選み取つた毱果には、必らず立派な實があつたからだ。折々は其上に攀ぢ登つて、之を震ひ落したこともある。我家の後にも栗樹があつて其中最も大きいのは殆んど家の全體を掩ひ、花時には、四邊が、一面に其香で滿ちた。けれども其實は大抵栗鼠と掛巣との食料となつた。掛巣の如きは、毎朝、群を成して來り未だ實の落ちない前から、毱果を破つて之を取つてしまつた。故に、余は之を彼等に讓つて、態々遠方の栗林を訪ふたのである。栗實は栗實として、又充分麺包の代用になつた。尚他にも多くの代用物がある筈だ。一日、魚の餌にする蟲を掘つてゐると落花生(Apios
tuberosa)が蔓のまゝ出て來た。是れ、原始人民の馬鈴薯にして一種の寓話的果實である。余は之を見て、坐ろに少年の日を囘想し余がこれを掘つて食ひ、又、夢にも見たことがあるかと考へた。余は以來、此縮れて緋天鵞絨の色をした花が、他の植物の莖に縋つてゐるのを見ながら、其れが落花生であるとは知らなかつた。開拓が進んで、今は殆んど根絶の状態である。其味は甘味を含んで、霜に當つた馬鈴薯に酷似した余の經驗では、炒るよりも、煮た方が、味が好いやうである。此土中の果實は、さながら大自然が遠い未來に其子を擧げて、手輕に爰で養はうとする朧ろげな證據の如くにも思はれる。此飾氣なき草根は、曾て印度人が、其種族に深い因縁ありとして定紋にまで用ゐたものであるが、今日の如く、家畜を肥し、田畠に穀物の波打つ時代に於ては全く忘れ去られ、或は、僅かに其花を開く蔓に依つてのみ記憶せられてゐる。けれども、此地に再び原始の大自然を榮えしめよ。優しく豐饒なる英國種の穀物は幾千萬の敵に滅され、人間の監視する怖れもないから、鵜は之を啄んで、曾て之を將來したと傳えらるゝ、南西の方印度の神の大農場へと、殘らず、再び持歸るであらう。之に反して、今、殆ど絶滅に瀕してゐる落花生は、霜と野草とに怯まず、甦つて、蔓延し、自らこの地固有の産物なるを證し、而して狩獵種族の食料として、重要、且つ貴重の物となるであらう。初めて之を人間に與へた神は、印度の穀神か或は羅馬のミネルヴアでなくてはならぬ。而して他日此地に詩歌の時代が始まることあらば、其葉や蔓が藝術品に表現せられる事であらう。
是より先き九月一日、余は既に、池の彼方へ、岬の尖端に當り、水に接して三株の白楊が、其眞白な幹を露してゐる上方に、二三株の楓樹が、紅を染めてゐるのを見た。あゝ、其色は多くの意味を語りしかな! やがて、一週又一週樹は夫れぞれの特色を現出し、其姿を、池の鏡に映して、自ら媚びた、此活きたる畫廊の管理者は、朝毎に、いよいよ鮮麗なる、若くは調和の妙なる色彩を以て、著しい新なる畫を、壁に掛けて、古いのと取換へた。
十月には、胡蜂が幾千となく我家に來て、冬の樓所を求め、窓の内側や壁の高い所にも止まり、時としては、這入りかけた客を辟易せしめる事もあつた。朝になると彼等は凍えて了ふので、余は何時もその若干を掃出したが、併し、餘り骨を折つてまで、之を除かうとはしなかつた。余は却つて彼等が余の家を好ましい宿と來て呉れるのを、有難いとさへ思つた。彼等は余と寢床を共にしたが、決して甚しく余を惱まさなかつた。やがて彼等は次第に冬の冱寒を避けて、何處か、余の知らぬ罅隙に隱れて見えなくなつた。
胡蜂と同じく、余は愈々十一月を以つて、冬籠りを始めるまで、常にワルデンの東北岸に身を寄せた。この處は太陽が黑松の森と、小石の多い濱から反射する爲め、此池での爐邊であつた。出來得る限り、太陽に煖まるは、人工の火に煖まるよりも、遙かに愉快で、且つ、身體の爲めにも好いことである。此故に余は夏が、獵師の立去つた後の如く、殘して徃つた餘燼のまだ燃えて居るので暖氣を取つた。
余は烟突を築くに及んで、石工の術を學んだ。煉瓦は故物であつたので、鏝を以て石灰を落したから、余は今迄になく、煉瓦と鏝との性質を識つた。煉瓦の上の漆喰は、五十年を經たものであつた。而して是れは年と共に、愈々益々硬くなると云はれたが、併し此言葉も亦眞僞に係はらず、世人の好んで稱道する例の套語である。かゝる套語こそ、時を經て次第に硬くなり強く附着し、之から似而非學問を取去るには、鏝を以て幾度も毆らねばならぬであらう。メソポタニアの村落では、大概、甚だ良質の古煉瓦を以て其家を築いてゐる。是れはバビロンの廢址から取つたのであるから、其セメントは余の煉瓦よりも、一層古く、又、一層硬からう。其は兎も角、余は鋼鐵なるものが特に頑固で、何程打撃に遭つても磨損することのないのに感じた。余の煉瓦はもと烟突を築いたものであつたから、余は仕事と浪費とを省くため、見出し得る限り多く、火爐の所に當る煉瓦を擇出し、火爐の周圍の煉瓦の間には、池から取つて來た小石を充たし、又、漆喰は同じく池の白砂を以て製した。余は我家の最も大切な活力の部分として火爐には、最も手數をかけた。實に余が其仕事に心を籠むるや、朝、地盤に着手し、一日かゝつて床上僅に數吋を出でない。從つて夜は、之を枕に寢られる位ゐのものであつた。けれども余はこれが爲めに頸の固くなる憂はなかつた。余の頸の固いのはズツト前からの事である。此頃、余は一人の詩人を二週間許り家に泊めたので、室の狹隘なるに困つた。余はナイフを二本所有したが、彼も自分で其一本を携へて來た。余等は之を地中に突刺して磨くのを常とした。彼は又余と料理の勞を分つた。余は我仕事が、漸次整然と、且つ丈夫に、出來上つて徃くのを見て、心に愉快を感じ、又、仕事の進行が緩ければ、それだけ永い歳月に耐えるのであらうと考へた。煙突といふ物は或範圍においては、獨立の建物である。大地に根を据え、家を貫いて天に向ひ、火事のために家が燒けた後にも、徃々斃れずに殘ることがある。從つて其重要にして、又獨立してゐるのは一見明瞭である。是れは夏の將に終らんとする頃の事であつた。而して今や十一月となつた。
北風は、既に吹起つて、池を冷やし始めたが、其全く之を凍結せしめたのは、尚ほ幾週か、強く吹續けた後であつた。池は是丈け深いのである。余はまだ壁を塗らない前から、毎夕、火を焚き始めたが、板の合せ目に、無數の罅隙があるので、烟は殊に都合よく煙突から逃れた。余は、この節多き褐色の荒板と、頭上高く、樹皮のまゝの捶とを以て圍まれた、冷かな吹拔きの室で、尚樂しい幾晩かを過した。家は壁を塗つてからは、餘り余の眼を喜ばしめなかつたが併し、余は其爲めに一層住心地よくなつたことを自白せざるを得ない。人間の住む室といふ物は、盡く丈を高く造つて、頭上を少し薄暗くし、其處で、夕方にチラつく影が捶の邊をめぐる樣にすべきものではあるまいか。此影の形は、壁畫其他の高價な家具よりも、空想と想像とに相相應しいものである。余は、今や、我家を宿舍の爲めに用ゐると共に、暖氣の爲めに用ゐるに及んで、謂ふべし、始めて之に居住するに至つたと。余は古い薪架の一對を持つてゐたので、之に薪を載せて、火所の上に置いた。我手で築いた煙突の内壁に、煤のつくのを見るのは樂しいことである。從つて余は平生になく自分の權利と滿足とを以つて火を掻廻した。余の住居は狹く爲めに反響を生ずる如き事もなかつた。けれども我家は一室よりなく、且つ隣家が遠い爲め實際よりも、廣く思はれた。家といふものの、趣味は、盡く一個の室に集中し、此室は、臺所でもあり、寢室でもあり、客間であり、物置きでもあつた。從つて余は、親でも、子でも、主人でも、召使でも、苟も家に住むものが、味ひ得るほどの慰樂は、殘らず之を味つた。カトーの曰へらく、一家の主人のは、必らずその別墅に、「油及び酒の窖を一個だけ造りて、之に多くの樽を備へ、以て樂んで凌ぎ難き日を待ち得るやうにすべし。是れ其便宜と、美徳と榮譽との爲なるべし」と。余は我窖に、馬鈴薯の小桶を一個、米象のついた豌豆を一升餘、又、棚の上には、米を少許、糖蜜を一壺、輾割りのライ麥に同じく輾割の玉黍蜀を各々五升許りも貯へてゐた。
余は氷結の始まる頃になつて、始めて壁を塗つた。漆喰を造る爲めに、池の向岸から白い、潔かな砂を小舟で運んだが、此運送たるや、若し必要あらば、更に遠きをも厭はざる底のものであつた。之と共に、余は板を以て、我家の四壁を、地面に達するまで葺き降した。壁骨を造るに際しては金槌の一打々々を以て、深く釘を敲き込むのを樂んだ。次に漆喰を、手際よく迅速に
板から壁に移さん事は余の野心であつた。余は曾て一人の生意氣な男が、立派な服裝をして、町を彼方方此と、職工に忠告しながら、歩いたといふ話を聞いてゐる。一日、彼は言葉の代りに實地を示さうと、袖口を捲り上げ、左官の手から、
板を取り如才なく漆喰を鏝にすくひ、得意滿面で、悠然と、頭より高い鏝骨を見上げると、ツト其儘大膽な身振を以て進んだ、が、この時、俄然、彼は大狼狽を來した、擴げた其胸の上に愍れ、鏝一杯の漆喰を受けたとか。余は此漆喰といふものが、完全に寒風を防ぎ、且つ綺麗な上塗となるところ經濟と、便宜とを今更の如く感嘆し、又左官が徃々遭遇する種々の危險を了解した。余は又煉瓦が極めて渇き易い性質のもので、それに、塗つた漆喰を滑らかに均らすに先だつて、早くもその水分を吸收し、新しい爐に洗禮を施さうとすれば、手桶に幾杯の水を要することを知つて大いに駭いた。是より先き余は、昨冬試驗の爲めに、コンコード河に産する一種の貝
Unio fluviatilis の殼を燒いて少量の石灰を製した事がある。從つて余は我材料の出所を知つてゐる。或は若し自分で望んだら、一二哩以内の地から、良質の石灰石を取つて來て、自ら之を燒きもしたであらう。
夫は扨置き、池も亦其全面の凍結に先つこと、數日或は數囘の前から、其淺く、且つ日陰になつた入江に、氷の上塗りを施した。最初の氷は殊に興味深く立派で、硬く、暗色を帶び、透明にして水の淺い部分においては、其底を吟味するに此上もない機會を與へる。其故は、僅か一吋位ゐの氷の上にも身體を伸して、水馬の如く、水の表面に横り、其時水は必らず靜穩であるから、譬へば硝子を掩ふた畫幅を見る如く、僅々二三呎を隔てて、心のまゝに水底を研究し得るからだ。砂の上には多くの溝がある。此溝は一種の動物が這ひ廻り、其跡に更に幾囘も徃復した道である。爰にその遺物として、純白の石英の細粒から成つたごみかつぎの殼が所々散布してゐる。溝はごみかつぎが掘つたにしては深く且つ幅廣きに過ぎるけれども、此中に、此蟲の殼が見えるから、矢張り此蟲の業であらうと思はれる。併し乍ら最も興味ある目的物は氷その物である。但し、之を研究するには早朝の機會を利用しなければならない。若し水の凍つた後において、朝の間、精細に之を吟味せんか、氷はまだ堅固で、裏から水が透いて見える爲め、暗色を帶びて、初め其層中にあると思はれた氣泡が、實は大抵裏面に附着してをることや更に其多くが絶えず水底から立昇つてゐることを發見する。是等の氣泡は直徑一吋の八乃至八十分一で極めて淨らかに美しく、一つ々々にわが顏の映つてゐるのが、氷を透して認められる。其數は、一平方吋に三十、乃至四十もある。又、氷の内部にも既に細く、長く、垂直に立つた長さ半吋許りの氣泡が、其鋭い圓錐體状の尖頭をもつて現れ、若し又、其氷が最も新しいと、小やかな球形の氣泡が白玉を貫いた如く、上下相接して生じてゐる。けれども、此氷の層中の氣泡は、其裏面におけるものほど、數も多からず、目に著るしくもない。余は時に石を投じて氷の強さを試みれば、其際氷を破て水中に陷つた石は、空氣を伴つて入るので、其空氣が大きな、顯著な、白泡となつて氷の下に附着する。曾て四十八時間を經てから、再び此場に歸つて見ると、氷の分子の縁に現れた條紋に依つて、其の厚さが更に一吋を増したことを明かに認め得るに拘らず、彼の大きな氣泡はまだ完全に保たれてゐた。併し乍ら昨日一昨日と小春日和の如き、暖い天氣の續いた今日となつては氷は其透明を失ひ、水の暗緑色と底の色を露して、薄暗い白色又は灰色となり且つ氣泡が此頃の暖さに、甚しく膨張して互に抱合し、其整然たる位置を崩した爲め、其厚さは以前に倍しながら、強さは却つて減じて來た。氣泡は最早上下に層々相接せず、財布から崩れ出た銀貨の如く、端のところを重合せ、或は薄い小片となつて斧痕の狹い裂罅を充せる如き觀がある。氷の美は既に去り、水底を研究するには時が遲れた。余は好奇心から彼の大きな氣泡が、新しい氷に對して、如何樣の位置を占めてゐるかを究めんと欲し、中形の大きさの氣泡を含んだ、氷の一塊を碎取つて、之を轉倒して見ると、新しい氷は氣泡の下方に、之を包んで成形し、從つて氣泡は新舊二種の氷の間に挾まれた如くにして全々下層の氷の中に在つたが、尚ほ、密に上層の氷と接着し、平板或は少しくレンズ形を成して、圓い縁を有し、厚さは一吋の四分一、廣さは四吋もあつた。而して、余の意外に思つたのは氣泡の直下に當る水は、極めて規則正しく皿を伏せた形に解けて、其中央が深さ一吋の八分五に達し、水と氣泡との間に一吋の八分一にも足らざる薄い水の仕切りを殘してゐる事で、多くの場合、此部分の氷に含まれた小氣泡は下方に向つて放出し、爲めに直徑一吋に及ぶ巨大な氣泡の下に、全く氷の無い事さへある。余の推測に依れば、初氷の裏に見えた無數の小氣泡と同じ順序を以て氷の中に鎖された後、各々其程度を以て、下方の氷に取火鏡の作用を及ぼし、之を解したり、侵したりしたのである。是等は即ち彼の氷を割り、是を爆鳴せしむる仕事に與るところの小なる空氣銃である。
余が恰も壁を塗り終つた時、冬は到頭眞面目に來て、風も今迄吹く事を許されなかつたかの如く、我家を繞つて怒號し始めた、夜々蒼鵝は闇の中を物騷しく、翼を打ち、ガラガラと鳴きながら遣つて來た一八四五年に、ワルデンが初めて全部氷結したのは、十二月二十二日の夜でフリント池、其他の淺い池、及びコンコード河の氷結に後るゝ事十日以上であつた。同四六年には十六日、四九年には凡そ三十一日、五〇年には凡そ二十七日、五二年には一月五日、五三年には又十二月三十一日であつた。雪は既に十一月二十五日以來、大地を掩ひ、早くも冬景色を以て余を圍んだ。愈々深く我殼の奧へと隱れ、我家の中と我胸の中とに等しく鮮かな火を保たうと力めた。戸外の業務は、今や、森林中の枯木を拾い集めて之を兩手に携へ、或は双肩に擔つて歸り、時としては又松の枯樹を兩脇に抱へて物置きまで引摺ることであつた。曾ては大切のものであつた古い森林の柵が、余の爲めに絶好の獲物となつた。余は之を火神ヴアルカンに犧牲として供へた。蓋し既に境界の神ターミナスの用を終へたからである。晩餐を料理する爲め、薪を搜さうと、否、或は謂ふべし、之を盜まうと今迄雪中に居て歸來つた人の夕暮れは如何に通常の場合よりも、興味の饒かなる事ぞ! 其人の麺包と肉とは極めて味が好い。我米國各町區の森林には、大概に多くの爐火を支ふるに足る程、各種の枯樹や朽木があるが、今は誰の家も暖めないのみか、若木の生長を妨げるとも考へられてゐる。此外、又池の流木もあつた。夏の間に、余は曾て鐵道の敷設せられた時、其土木の愛蘭勞働者が拵へた、樹皮のまゝの松の筏を發見し、一部、之を岸に引揚げておいた。氷に漬る事二年、然る後陸に半年横つたので、此筏は氷に浸されて、到底乾燥し切らないに拘らず、而も立派な燃料であつた。余は冬の一日、十五呎もある此木材の一端に肩にし、他端を氷上に托して、後から之を滑らしつゝ、池を横つて殆ど半哩近くも、一本づゝ搬び返るのを樂んだ。或は其數本を樺樹の細條で縛り、一端に股のついた長い樺樹又は赤楊を鉤けて、之を引摺つた。此木材は其心髓まで水に浸され鉛の如く重なつて居ながら、長く燃燒に耐えたのみならず、其火力も極めて強盛であつた。否な、思ふに木材は、例へば瀝青が水に漬けられた爲め、火器の中で長く燃えるが如く、此浸透の爲めに却つて能く燃えたのであらう。
此時代と、此新しい國土に於てさへ、今尚ほ木材は莫大の價値を有つてゐる――黄金の價値よりも、更に恒久、且つ普通である。どんな發見、發明があつても、人間は薪の一束を識らずには濟まされない。其貴重なるは、曾てサクソン或はノルマン族の祖先に於けると異ならない彼等は之を以て弓を造り、吾人は之を以て銃の臺尻を造る。ミシヨーは三十年前、紐育又は費府における薪材の市價は「殆ど巴里最良の薪材と匹敵してゐる。此宏大なる首都は、毎年これが三十萬束以上を需要し、且つ之を圍んで四方三百哩の耕地あるに拘らず」と言つた。我コンコード町においては、木材の市價は、年々殆ど騰貴するばかりで、問題は唯今年は昨年より何程高いかと云ふ丈けである。特種の用向きを持たずして自ら森林に來る職人や、商人は、必らず森林競爭に立會ひ、伐採後の殘木拾集に對してさへ少からぬ代價を拂つてゐる。人間が其薪材、及び技術の爲に、森林に依頼し始めてより、茲に幾千年、米國人民も、和蘭植民地の人民も、巴里人も、ケルト族も、殆ど世界の各地に於て、又王侯と農夫と學者と蠻民とに論なく、今尚はお其身を暖め、其食を調理せん爲めに、少許の木片を森林に仰いでゐる。
何人も我薪の堆積を見れば、一種の情味を覽える。余は好んで窓前に積み、其斧屑の多いほど、愈々多く我愉快なる仕事を囘想した。余は何人の權利にも屬しない一挺の古斧を所有したから、之を以て、冬日折々、日當りのよい我家の南側で、かの豆畑から、掘出して來た。木株を割つた。畑を堀返した際に、彼日傭が余に告げた如く、木株は余を二回暖めた。一囘は余が之を割つた時で次は其火になつた時である。從つていかなる燃料よりも少量の熱を供給した。
膏松の少許は、珍重すべき寶である。此爐火の食物が、まだ何の位ゐ地中に匿されて居るかを考ふるは興味多き事である。余は、前年屡々、曾て松林のあつた、赤裸の山腹を縱横に穿鑿して、膏松の根を掘出した事がある。是等は非常に固く、殆んど打割ることが出來ない。少くとも三四十年を經た古株と雖も白木質の部分は、既に朽果てゝ、沃土となつた其痕跡が、中心から四五吋の距離で、地上に輪を劃してゐる所の厚い樹皮の層に殘つて居るに拘らず、其心髓だけはまだ健全に存してゐる。余は斧とシヨベルとを以て、この穴を探究し、牛脂の如く黄色となつた其心髓を索め時としては、さも黄金の鑛脈に掘當てた如く、地中深く之を搜つた。けれども余は、大抵、雪の來る前に、物置に貯へておいた森の枯葉を以て、火を焚附けた。樵夫は森林中に泊る時には、胡桃の生木を、綺麗に割いて、火を焚附けに用ゐる。余も一時に焚附の少許を拵へた。町人が地平線の彼方で、其爐に火を焚く時、余も亦、我家の烟突から烟の旌旗を颯と靡かせて、ワルデン溪谷の走禽野獸に余が眺めてゐることを警告した。――
Melting thy pinions in thy upward flight,
Lark without song, and messnger of dawn,
Circling above the hamlets as thy nest;
Or else, departing dream, and shadowy form
Of midnight vision, gathering up thy skirt;
By night star-veiling, and by day
Darkening the light and blotting out the sun;
Go thou my incense upward from this hearth,
And ask the gods to pardon this clear flame.”
『輕き翼の烟よ、イカリヤの鳥よ、
上ざまに翔りてなが翅を掻消せる、
歌なき雲雀か、又曙の使者か、
なが巣のやうにも村里の空を舞へる、
さらずば又、立ち去 夢か、影の姿か、
深夜の幻の、なが裳をばかきあぐる。
夜には星の帳となり、又晝には
光を暗くし、日を拭ひとる。
我香烟よ、此爐の中より立昇りて、
神々に乞へ、明るき此焔を許されん事を。』
新に伐り取つた堅い生木は、僅かばかりしか用ゐなかつたけれども、他の何物よりも、よく役に立つた。余は、冬の午後、折々盛んに火を焚いた儘、散歩に出ることがあつたが、三四時間經て歸つても、火はまだ紅々と燃えてゐた。余の不在中にも、我家は空虚でなかつた。余は宛がら愉快を留守居を置いたやうであつた。即ち我家には、余と火との二人が住んだ。且つ余の留守居は概して忠實であつた。併し、一日、余は薪を割りながら、不圖、火事が起こつてゐないがと云ふ氣になり、窓から覗かうと思つた。余が此點に就いて、特に心配したのは、唯此時一度であつた。窓から覗いて見ると、火花が飛んで、寢臺に燃え附いてゐたので、中に入つて之を消し止めたが、火は此時腕位ゐの大さを燒いてゐた。併しながら、余の家は、極めて日當りの好い、且風通しの少い場所を占めてゐた上に、屋根が低かつたがら、冬も大抵毎日、日中には用ゐずに濟ます事があつた。
我家の窖に土龍が棲んで、馬鈴薯を殘らず三分一位ゐ嚼じつたのみか、壁を塗つた後の、毛と麁紙とで、こんな處にまで巣まで拵へた。蓋し、いかに野生の動物でも、矢張り人間と同じく、安樂と暖氣とを愛する。彼等が冬を凌ぎ得るは、全く此二つのものを用心深く保つからである。余の友人の或るものは余の森林に入るを見て、是れは凍死せんが爲めであらうと謂つた。動物は、單に其寢床を造り、庇陰のある場所で、我身體を以て之を暖めるだけのことであるが、人間に至つては、火といふものを發見して、廣い室の中に、空氣を閉籠め、我身體を摩擦する代りに、之を暖め、之を寢床とし、重苦しい。衣服を脱いで自由に此中に起臥し、一種の夏を冬の最中に保ち、又、窓を開いては光線を容れ、ランプを用ゐては晝を永くしてゐる。かくて人間は、自然の性質よりも、一歩或は二歩 進め、少許の時間を羸ち得て、美術をも研究するやうになつた。余は長く寒風に吹き曝されて、五體將に知覺を失はんとする時でも我家の和かな空氣の中に歸ると、忽ち其機能を恢復し且つ壽命を延した。
翌年冬余は森林を所有しないから、經濟の爲めに小形の料理用暖爐を使用することにした。併し是は開いた爐の如く、火を保たなかつた。料理は、以來大部分詩的性質を有せず、單なる科學的作用となつた。今は暖爐の時代である。こんな時代となつては、曾て、吾人が印度人を學んで、灰の上に馬鈴薯を焙つたといふやうな事は、遠からず忘れ去られであらう。暖爐は室を塞ぎ、且つ、家を臭くしたのみならず、火を隱した。從つて余は伴侶を失つた感じがした。
底本:『森林生活 生の価値』中央出版社
大正14年6月17日発行
●表記について
「くの字点」は前の語を繰り返しました。
底本にそのまま引用された英文の間違いは、原書を参照して修正しました。
