一
びしよびしよと降りしきつてゐた梅雨の雨があがつたので、庭下駄に水たまりを避けながら、ちよつとそこらを歩いてみた。
ぐしよ濡れになつたあたりの木木が、水を渡つて来た狗のやうにをりをり体をゆすぶつて、水の雫を跳ね飛ばした。それが額にふりかかり、首筋に流れ込むのも、まんざら悪い気持ではなかつた。
私の家の植込には、樹木はかなりあるが、いづれも粗末な雑木ばかしで、これといつて人の眼をひくやうなものは、ただの一本だつてありはしない、むかし、なにがしといふ漢の帝王が上林苑を造つたことがあつた。何しろ、二人とない時の権力者の造営事業だといふので、広い領土の方々から名果名樹を献上して来るものが引きも切らず、なかにはその名前が世間に有り触れたのではおもしろくない。帝王の目をひいて、
私の家には、そんな勿体づけられた異木佳樹といつては、ほんの一株も見られないのみか、その悉くがそこらにざらにある雑木雑草なのだ。だが、これらの地味な樹木も、夏が来ると、それぞれ黄色がかつた緑の柔かい若葉を伸ばし、枝を伸ばして、人間ならば貧しい農民か樵夫かといつたやうな人達にのみ見られる、心やすさに充ちた微笑をもつて私を見詰めてゐる。
一体庭樹といふものの多くが、人間の好みに適応するやうに囚へられ、撓められ、造り替へられてゐるのに比べて、雑木はその持味の素朴さ、粗々しさ、とげとげしさの感じが失はれてゐないだけに、それにとり囲まれてゐると、どうかすると人をして山林の中に
二
雨がまた降り出して来た。空を濡らし、木々を濡らし、大地を濡らし、おまけにまた憂鬱な私達の心のすみずみまでも濡らさないではおかないやうな雨だ。若葉の下蔭でぼんやりそれに見とれてゐると、小さな虫のやうなものが一つ、わびしい音を立てて私の前に落ちて来た。
黄熟した藪梅の実だ。
私は頭の上におつかぶさつた若葉のなかへ眼をやつた。すると、雀の卵のやうな小ぶりな梅の実が、そこにもここにも数へられた。梅の実はそばかすだらけの片頬をこころもち赤らめてゐた。
むかし、
「みんな見ろ。あすこに
皆は指ざされた方へ目をやつた。そこは雑草の生ひ茂つた荒地で、路寄りに李の木があり、枝といふ枝には紅熟した実が鈴なりになつてゐた。
子供達はわれがちにその木を目ざして駈け出して往つた。たつた一人王戎のみは仲間と離れてもとのところにとどまつてゐた。
通りがかりにそれを見た旅人の一人は、この少年に訊いてみた。
「お前ひとり、何だつて李を採りに往かないんだ。嫌ひなのかい。」
「だつて、小父さん。あの李まづくつて、食べられやしないんだよ。」
「いつか採つて食べたのかい。」
「いいや。だつて小父さん、あんな路傍で、あんなにたんとなりながら、今まで誰にも盗まれずにゐたなんて、きつと味がまづいにきまつてゐるぢやないの。」
悧発な少年の即答に、旅人は感心したやうに頭を振つた。丁度その時だつた。最初に李を口にしたらしい少年の一人が、その味がまづくてとても食べられないと、木の上から大声にわめき出したのは。
私はそつと手を伸ばして葉隠れの梅の実の一つを
「こいつも雑木だな。――だから折角実を結びながら、実のあることすら忘れられようといふもんだ。」
私は心からの親しみをもつて、この梅の木を見ないではゐられなかつた。
底本:薄田泣菫『獨樂園』ウェッジ文庫

